名前を呼んで

 授業と授業の間、おれは次の授業がないので、どこで潰そうか考えてた。
 図書館で寝るとかもいいし、自習室でパソコンをいじるのもいいし、暇なのを誘って喋るのでもいい。
 とりあえずどこかに落ちついて飲み物でものもうかな……と廊下を歩く。
 珍しく旧館で行われた授業なので、とにかく新館に行こうと思った。
 今の大学の敷地は、中心部が昔よりずれているそうで、新館正面口をまっすぐ前にすえて、右に旧館、左に図書館がある配置になっている。
 昔は新館の部分に食堂だのがあったらしいけど、それは今べつの場所に、それぞれ広々とスペースをとっている。
 新館からおのおのの建物には、屋根つきの道が設けてあり、雨の日も便利に通ることができる。
 おれはとりあえず新館の中にある自動販売機にむかった。
 あそこにはおれの好きな紙パックのコーヒー牛乳がある。
 ……無駄遣いしないためにペットボトルも持ってきてるんだけど……あのコーヒー牛乳だけは別格で、いつもついつい飲んでしまう。
 まあ、そうは言っても週に一度程度なので、いいだろうけど。
 自分にいいわけすると、おれはいそいそと新館への廊下を進む。

「あ、祐唯(ゆうい)」

 ふと、名前を呼ばれてふり返った。
 そこには見知った顔がにこにこと笑みを浮かべて手をふっている。

「あー、カヤ、そっちも授業だったんだっけ」

 同じように片手をあげて言うと、ああ、とうなずいてから、いつものように苦笑する。

「お前はいつまでたってもカヤって呼ぶなぁ……」

 カヤ……佳也は、本当は「よしや」って読むのだけど、おれはいつもカヤと呼んでる。
 一番最初に間違えて以来、どうもこのほうが呼びやすいから。
 男っぽくない名前同士、ってことで、わりと気が合っている。

「いいじゃん、呼びやすいしさ。
 ……カヤもこのあと授業ないのか?」

「いや、こっちは次がある。移動中だよ」

 カヤの返事に、おれはよっぽど残念そうな顔をしたらしい。
 面白そうに笑って、俺の肩をからかうように叩いた。

「なんだよゆーいクン、寂しいのか〜?」

 にやにや笑いながらの科白に、おれはちょっとムっとする。
 一人でいてもつまらないのは、カヤも同じだろうに、性格悪いよなこいつ。
 ……まあ、それも嫌ってほどじゃ、もちろんないけど。

「せっかくおごってやろうと思ったのに、じゃおれ一人で飲むよ」

 財布をとりだして、自動販売機にむかうと、カヤはちぇっと声を出す。

「だったらからかわなきゃよかったな。
 でも次の授業はどっちみち、飲み物置いてるとアウトだから、諦めるよ」

 ずり落ちたバッグを抱え直すと、そう言った。
 おれは目的のコーヒー牛乳を手にして、カヤの近くにもどる。

「俺そろそろ行くわ。祐唯、またあとでな」

 軽く手をふって、返事も聞かずに階段を登っていく。
 残された俺は、どこでこのコーヒー牛乳を飲もうか悩んだ。
 適当な空き教室に入るのが、一番無難ではあるんだが……
 さてどうしたもんか、と思っていると、むこうからまた一人見慣れた影が。

「あっ、金城」

 声をあげると、金城はよう、と言うかわりに片手をあげる。
 薄い灰色のセーターに黒のスラックス……いいなぁ、なに着ても似合うやつって。
 おれはと言うと、……うーん、パーカー着るのやめようかなぁ……
 そんなことを考えていて、ふと違和感に気づく。

「金城、どうかしたのか?」

 いつものコイツなら、おれがあれこれ考えてると、今度はなにを考えてる? って訊いてくる。
 そんなにわかりやすいつもりはないんだけど、むこうに言わせると丸わかり、だそうで。
 だけど今日はおれが服装について考えてても、ツッコミが入らない。
 ……いや、ツッコミがほしいってわけじゃないけど。

 おれに訊かれて、金城はああ、とか生返事をかえすだけ。
 ……おかしい。
 なんか考えているらしく、視線はおれのほうをむいているけど、でもおれを見てはいなくて。

「授業はないのか? もう時間だけど」

 心配になって言うと、やっぱりどこか抜けた声で、ないとの返事。
 ならまあ、授業の遅刻は心配ないけど……
 どうかしたのか、と言うより先に、低い呟く声が聞こえた。

「……祐唯って言うんだな」

 一瞬、なんのことかわからなかった。

 かなり間を置いて、おれの名前のことだと気づく。
 さっきのカヤとの会話が聞こえてたらしい。
 まあ、ここはわりと声も通るから、無理もないけど。
 ……決しておれたちの声がでかかったわけじゃない……と思う。

「漢字はまだましなんだけど、女の子みたいな名前なんだよな。
 カヤともよくそう言ってるんだけど」

 どっちがより女っぽい名前か、という論議は、いまだに終結していない。
 おれたちはわりと真面目なのだが、他の連中はどっちもどっちだと笑うだけだ。

「……いい名前だと思うけどな」

 しばらく考えたあとの、金城の言葉。
 ……女に間違われる、という部分はやっぱり否定できないらしい。

「うん、おれも嫌いなわけじゃないけど。
 ……そういや金城の下の名前って?」

 アパートには名字しか書いてないので、そういえばおれはこいつの名前を知らない。
 なにげなく訊ねると、金城はちょっと眉をひそめてから、答えた。

「明彦、明るいに彦の字」

 おれと違ってごく普通の男名前だ。
 もっと格好いい名前かと思ったけど、でも似合ってる気がする。

「へぇ……じゃあさ、これからアキヒコって呼んでいいか?
 ほら、金城と風間だとカでかぶるし」

 おれの提案に、金城は驚いた顔をした。
 こいつがこんな顔をするなんて、珍しい。

「あ、名前が嫌いとかなら、いいけどさ」

 さっきの一瞬の表情が気になってそう言い添えると、ゆっくりと首をふった。

「いや、そうじゃない。
 ……じゃあ俺も祐唯って呼んでいいのか?」

 ためらいがちに言われた言葉。
 ……もしかしてコイツ、それを言っていいかずっと考えてたのか?
 だったらなんつーか……楽しい、かもしれない。
 思わず笑顔になったおれに、金城は不思議そうな顔をする。

「もちろん呼んでいいに決まってるじゃないか。
 ……遠慮なんていらないって、アキヒコ」

 おれは笑って肩を叩くと、金城……アキヒコは少し置いて笑った。

「そうだな、……祐唯」

 ちょっと緊張しておれの名前を呼ぶ姿がなんだか面白くて、おれは必死に笑みを殺す。
 爆笑なんてしたら授業中の教室に悪いし、アキヒコもきっと機嫌を悪くする。

「んじゃ名前を呼ぶことにした記念ってことで、おごるからどっかでなんか飲もうぜ」

 ぬるくなりかけた手のコーヒー牛乳を指しながら言うと、そうだな、とうなずく。
 そのあと手近な教室で飲んだそれは、温かくはなかったけれど、いつもよりおいしい気がした。





 その三、ゲストキャラ登場です。
 名前ははやい段階から決めていたのですが、
 出す機会がなかったのでちょうどいいのでネタにしました。
 男同士は名前で呼ぶのにそう抵抗がないかもしれませんが、
 私はどうにも苦手でして(汗

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