君の隣
 夏の日、朝と言うには少し遅い時間。
 彼は台所の前で食事の支度に勤しんでいた。
 料理をするのに相応しいとは思えないスーツ姿だが、
 手つきに危ないところは微塵もなく、あっという間にできあがっていく。
 あとは食べる本人がやってきたところで温めればいいだけの状態にすると、
 満足げにうなずいて片づけに入る。
 卵の焼き加減も味つけも、すべて記憶にある彼女の好みどおりだ。

 今の時間を調べると、そろそろ11時になろうかというところ。
 さすがに起こしたほうがいいだろうかと考える。
 予定は特にないので、寝坊してもさほど問題はないのだが。

 その時、階段を慌ただしくかけおりる音が聞こえた。
 現在上の居住フロアにいるのは一人だけなので、誰か考えるまでもない。

 この朝食を用意したのも、そのたった一人のため。
 彼女がくる、そう認識した途端、唇が笑みの形を刻んだ。
 ここまで慌てている理由はよくわからないが、時計を見て時間に驚いたのだろうか。
 そんなことを思いめぐらせながら、出てくるであろうドアに目をむける。

「バリー!」

 ばん! と大きな音をさせて扉を開けたのは、彼の最愛の少女。
 だが、その違和感に、彼は眉をひそめてすばやくデータをとる。
 心拍数が速く、顔色も悪い。
 寝坊したから、というだけにしては極端すぎる。
 昨夜のことで体調を崩したのだろうか、となれば一大事だ。

「おはよう、裕香」

 調べながらも、にっこり笑っての挨拶は忘れない。
 とろけそうな甘い笑顔は、計算してのものではなく、彼女を前にすると自然と出るもの。

「……よ、かった……」

 だが彼女からの答えはなく、かわりにへたりとその場にすわりこんだ。
「おはよう」の返事に「よかった」など聞いたこともない。
 なにより一気に緊張が解け、顔色もよくなった理由がわからない。
 バリアスは裕香のもとへ行くと、屈んですっと手を差しのべた。

「どうしたんだ? 一体……」

 困惑した表情のバリアスに、裕香は慌てて笑顔をつくる。
 手をかりて立ちあがると、そのまま彼に抱きついた。

「裕香?」

 反射的に抱きしめ返して、名前を呼ぶ。
 彼女はじっとその声に聞きいったあとに、囁くような微かな声で呟いた。

「……目が覚めたらいなかったから、夢だったのかと……思って、恐くて」

 やはりあれは、自分の願いが見せた幻影か……と。
 言葉とともにシャツをぎゅっとにぎられた。
 ほんのわずかな震えも、彼にははっきりと感じとれる。

「すまない、昨夜は大分遅かったし……
 よく眠っているから起こすまいと思ったのだが、それが裏目に出てしまったな。
 ……大丈夫か?」

 再会のその時も、彼女はそれを現実と認識するまで相当の時間をかけていた。
 何度もそういった夢にうなされていたのかもしれない。
 労りの包容に、裕香はふるふると首をふる。

「ゆ、昨夜のことはその……置いておいて。
 私が一人であせっちゃっただけだから、心配しないで」

 恥ずかしくなったのか、早口で言うと腕から抜けだそうとする。
 けれどそれを許さず、そのままぎゅっと抱きすくめた。
 いくら本人がそう言おうと、少しでも彼女に嫌な思いをさせたかと思うとたまらない。
 なにもかもから守りたいと心に誓ったのに、
 あろうことか自分が彼女を傷つけてしまったのだから、自己嫌悪もするというものだ。

 彼女の様子が落ちついたのを確認すると、バリアスは手を緩め、視線を合わせる。
 それから、少し悪戯っぽくふっと笑った。

「それにしても、裕香、ずいぶん扇情的な格好だな」
「え?……あ!」

 きょとんと目を丸くしたあと、真赤になってシャツの裾をひっぱった。
 隣にいたはずの彼がいない、そう気づいたら不安でどうしようもなかったから、
 服に着替えるなんて悠長なことはしていられなかった。
 そのため、手近にあったパジャマのシャツと下着しか身につけていない。
 なおかつシャツは昨夜の行為でボタンを外されており、
 面倒で上から数個はとめないままだ。

 はだけた胸もとから見え隠れする赤い跡は、彼のつけた所有の証。
 まざまざと昨夜のことを思いだし、このまま押し倒したい衝動にかられた。
 だが、できあがった食事をそのままにもしておけないし、
 なにより彼女のことだ、かなり空腹を覚えているに違いない。
 せめてもと顎をとり顔を近づけると、察知した彼女は頬を染め、けれど素直に目を閉じる。
 軽くするつもりだったキスは、ぴくりと震えた彼女の反応で、深く長いものへ変わる。

「……ふぁ」

 バリアスに支えられていなければ、倒れてしまいそうなほど力の抜けた彼女は、
 唇が離れたあとに甘い吐息を漏らす。

「シャワーを浴びてから、食事にしよう」

 おまけとばかりに軽く額に口づけされたあと、からかうような、
 けれど極上に甘い声でそう言われ、ぼんやりとうなずく。

 浴室へむかう彼女を見送ると、彼は即座に事務所に引き返す。
 机の上の電話を操作して、留守電に切りかえた。
 ルイは遊びに出かけたから、部屋に鍵をかけておけば問題ない。

 ちゃっかり下準備を終えたバリアスは、
 いそいそと食事を温めにキッチンへ足をむけたのだった。

 
 
 初出:06/02/04 / 背景:NOION

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 萌えと勢いで書きました。GOODEDの翌日の朝です。
 なんとなくこうなるんじゃないかなーと……
 甘さが足りない気もしなくもないですが(汗