境界線
 止まれ、と響く声。
 これ以上はいけない、と叫ぶもの。
 従わなければならないことはわかっている。

「セレスト……」

 けれど、甘い声が自分を呼ぶ。
 これからの行為に少し怯えたような目。
 けれど同じくらい、自分を信じている。
 まっすぐに好意をむけた視線を絡めたまま、ねだるように腕が伸び、自分の首にまわる。
 どきりとするほど白い腕は、いくらか熱を持っていた。

 ……止まらなくては、とは思う。

 たしかに相愛だけれど、それでも……この一線を越えることには抵抗がある。
 相手は主君なのだ。その事実はどうしても変えられない。
 その部分にすら、自分は惹かれているのだから。
 なおかつ、自分も、相手も、男で。
 そのあたりの女性より余程繊細であるけれど、それでも同性である事実はそこに存在する。

 なにもかもが普通ではない。そんな自覚はもう以前からあるけれど。

 だけど、男として、恋に狂う人間として、求めたい衝動がないわけもなく。
 うっとりと目を閉じている状態を見てしまえば、自分の身体はどうしても止まってはくれず。

 ……このきれいなすべてが、今自分の下にある。
 なにをしても許される。むしろかれはそれを望んでいる。

 それはなんて……誘惑的なのだろう。

「セレスト……」

 すこしじれったそうな声の響き。
 乞うる甘い囁きは脳の奥を刺激してやまない。
 我知らず、手は絹の夜着にかかり、かすれた声で主君の…今だけは対等の恋人の名を呼ぶ。

「……カナン様……」

 そうしてしまえば、もう、抑えられない。
 灯りの消えた部屋の中で、ふたつの影は重なって――

「……っ、うわあああああああああっ!?」

 がばっとベッドからはね起きたセレストは、ぜいぜいと荒く息をつく。
 冷や汗をかきながら、ここが自分の部屋であることをまず、確認した。
 おそるおそる隣を見て、そこに誰もいないことに、はぁーっと深く安堵の息をつく。
 まだ抜けきれない夢の余韻に首をふると、手で顔を覆い絶望的な呟きを落とした。

「な……なんて夢だ……」

 いくら夢の中とは言え……あまりの内容に自己嫌悪に陥る。
 たしかに……あの、フォンテーヌ一連の件で、自分とカナンは主従の関係を越えてしまった。
 けれどセレストの心の中では、だからと言ってカナンと深い関係になろうという気はない。
 いや、勿論なりたくはあるのだが、しかしカナンはまだ年若い。
 そして彼は男であるし、なにより彼は王子で……後継者ではないけれど、至高の存在には違いなくて。

 そんな相手を自分が手にいれていいのだろうか。

 ……自分への問いの答えはいつも「No」だ。

 できるわけがない。若い芽を摘みとるような真似は。
 国王以下全員、人柄がよく理解もある。
 だが、流石に息子が部下、それも同性と恋仲にあると知ればさぞショックを受けるだろう。
 べつに保身に走るつもりはない。自分はどうなってもいい。
 けれど……周囲のことを考えれば、今の状況にいるだけでも僥倖と思わなければ。

 だが、そう己を納得させても、彼は若い盛りで。
 一番近くで仕えていて、しかも相愛の仲なのに、ただ普通に接するだけというのは、かなり……拷問だ。
 その証拠に、こんな「夢」まで見た。

「……相当煮詰まってるな…俺……」

 健全な男の証拠ではあるが、臣下としては非常にまずい。
 今日もきょうとて近衛の仕事とカナンの世話が待っている。
 それを終えたあとはささやかな幸せの時間――「恋人」としての――がある。
 しかし、こんな調子で、キスまでの行為で満足できるだろうか。

 ……できると誓えないのが哀しかった。

「とにかく……冷静にならないと」

 自分に言い聞かせ、セレストは着替えにかかった。



 そして、近衛の訓練。
 2番目の実力者であるはずのセレストだが、今日はさんざんだった。
 若い見習には流石に勝ったが、いつもなら労苦なく勝てる連中にも負けてしまった。
 同僚から体調を心配され、年上にはたしなめられ、けれどそれもどこか遠くに聞いてしまう。
 これは相当まずいなと、思う自分すらが遙かなようで。

 昼食を挟んで、午後はまるまるカナンとともに過ごす。
 ぼんやりとカナンのうしろを歩いていたセレストは、いつのまにかその歩みが止まっているのに気づいた。
 カナンはこちらをふりむいて、蒼い目で自分を見つめていた。
 まっすぐな目遣いは、彼が心奪われた強さに満ちた光。
 けれど今は見つめにくく、少しだけ視線を逸らしたい。
 理性をなくした目をしていそうな自分が感じられるから。
 まだ年若い王子は、怪訝そうな表情で自分を見つめ、問いかけてきた。

「セレスト、今日のお前はなにかヘンだぞ、どうした?」

 この質問は無理からぬところだろう。
 自分だって、カナンの様子が少しでもおかしくなったら気がつける。その自信がある。
 しかし、どう返答したらいいと言うのだろう。
 まさか欲求不満でおかしいなどとは口が裂けても喋れない。
 曖昧な微笑みを浮かべると、彼はそっとカナンの頭をなでた。
 さらさらの金髪はとてもやわらかくて、いつまででもふれていたいと思う。

「少し疲れているだけですよ」

 疲れているのは本当のこと。それは心が、だけれど。
 そう言うと、カナンはむ…と唸って自分を見つめる。
 信用していない目つきに、セレストはどうしたものかと悩む。
 本当のことは言えないのだし……

 そして、なんとも複雑な沈黙が続く。

 なにか話そうと思っても、墓穴を掘りそうで、とりたてた話題もなくて。
 セレストは内心汗をかいていた。
 大体、もともと会話上手でもない自分に、この状況で話を逸らすことなど不可能だ。
 気のきいたことも言えない我が身が心底情けなかった。

 カナンはしばらく考えこんでいたようだったが、やがてセレストにむき直る。
 きっとした蒼い瞳に、これはやばい、と瞬間的に感じだ。

「お前は僕に心配をかけまいとしているのだろうが……」

 一言ずつを選びながら、けれど目線は決して離さない。
 真剣な表情は、愛されていると実感できて嬉しい。
 ……口にすれば怒られるだろうけれど。

「僕はお前の心配をしたいぞ」

 短く続けられた言葉に、返すことばをなくす。

「嬉しそうなら一緒に。悲しそうなら原因をとりのぞく。
 僕はお前にそういう特別なことをしたいぞ。
 それは特権として与えられるものじゃないのか?」

 我侭な言葉。自分勝手な科白。
 だけど、それが聞けるのは自分だけ。
 それはなんて贅沢な、すぎたほどの幸福なのだろう。
 身にあまる…けれど他の誰にも渡したくない、カナンの言うとおりの特権。

 セレストは腕を伸ばすと、じっと見上げるカナンの身体を抱きしめた。
 華奢な肢体を壊さないように、激情に身をまかせないように、セーブしながら。
 一瞬驚いた表情をしたカナンだったが、すぐに赤面しながらも腕をまわしてくる。
 ふわりと香るいいにおいに、自然と笑みがこぼれた。

 これ以上を望む声も事実だけれど、満たされるのも本当のことで。

「……で、なにを思い悩んでいたんだ?」

 首をあげて問いかける彼に、セレストはしかたないと観念する。
 この調子では、答えるまで訊ねられるだろう。
 適当な答えでは、まずばれてしまうだろうし。

 だから、耳もとに、たとえ精霊にすら聞こえないほどの小声で、囁きを送る。

「……っ」

 途端、白磁にも似たすべらかな肌が赤く染まった。
 軽く耳を咬んでから顔を離すと、セレストは苦笑してみせる。

「困るでしょう?」

 問いかけると、意外なことに返答がなかった。
 おや? と思って下を見ると、赤面したままなにか考えているらしい。
 流石に嫌われたか、あきれられたか、と内心焦る。
 まだ少年にも近い彼には、少々困る話題だったことは否めないのだし。
 まさか殴られはしないだろうが、それなりに神妙な顔で相手の対応を待つ。

 意を決したように顔があがり……次の瞬間、セレストの目が大きく開く。
 いっそうきつく抱きついてきたかと思うと、先刻自分がしたのとそっくり同じことを返されたのだ。

「かかか、カナン様!?」

 熱くなった耳を抑えてうわずった声で叫ぶと、ちろ、と残った舌をしまってから、吐息混じりにそっと言う。

「僕だって……そうだぞ」

 そして即座に顔をさげる。
 予期せぬ返事に、セレストは間抜けなほどぼんやりとしてしまった。
 けれど、うつむいたカナンの真赤な顔を見ると、その科白がどんどん現実味を帯びてくる。
 本当に? と訊ねたかったが、そうしたら本気でどつかれそうなのでやめておいた。

「……止めませんからね?」

 うつむいたままを許さずに顔をあげさせて、少しだけ凄みをきかせてみる。
 勢いだけであったなら、あとで悔やむのは彼のほうだからだ。
 自分は想いをうち明けた時点で、そこまでの決意は自然にしていたけれど。
 そんな彼の脅しに、逆に調子をとりもどしたらしい彼は、ちょっと不敵な笑みを浮かべて見せた。

「……望むところだ」

 堂々とした、偉そうなほどの科白。
 らしすぎる言いまわしと、了解されたことが嬉しくて、二人はくすりと笑みをもらす。

 そして、約束の代わりにキスをした。


 境界線は、もうどこにもない。

−終−
 
 

 背景:Simple@Ism

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 PS版なのでまだ健全です。
 ED後、でもまだ一線をこえていない設定。
 セレストってすごく悩みそうだよなー……と。