白衣の幻想
 彼女の父親は、それは立派な医者だった。
 世界が崩壊に近づくこの時代に生まれ、それでも医師として研鑽を積み、
 損得を抜きにして人々を診てまわった。

 そのため、少女も小さいころから医療の現場に近く、
 人手がないということもあって、手伝うことも多かった。
 専門的なことはできなくても、小さな少女がかいがいしく立ち回る姿は、
 壊れていく世界の片隅で、わずかな光になっていた。

 しかし、今さらちっぽけな人間がほんの少し足掻いたところで、
 急速に崩壊へ走り出した世界を止めることができたわけもなく。

 生と死を目の当たりにする生活を続けていくうちには、
 医者の限界を思い知ることも多々あった。

 住む場所がひび割れ、水に沈み、燃えてなくなってしまえば、
 どんなに患者を生かしていても、どれだけ怪我を治しても、どうしようもない。
 災害の前にはなにもかもが無力になる。
 わかっていることけれど、そこで絶望してしまうのは簡単だ。
 救いを求める人々に、いくらかでもかせる力があるのなら、
 放置することなどできようはずがない。

 彼女の父は真剣に、実直に、最期のその時に少しでも心安くいられるように、
 己の人生を悔いることがないようにと、患者を診つづけていた。
 少女はいかんせん子供で、そんな現実に泣くことも多かったけれど、
 そんな時は必ず両親がそばにいて、泣きやむまでずっとついていてくれた。
 だから朝には笑顔で、人々のために奔走することができた。

 そんな日々を繰り返し、紆余曲折を経て、彼女は白い船の一員になった。
 両親が乗ることはなかった。
 最期まで彼らをたすけたいのだと、そう言って。
 自分たちが乗りこむより、幼い命をその船に乗せるべきだと、主張した。

 泣いて我儘を言うほどには、少女は子供ではなかった。
 だからぐっと耐えてその手を離した。
 彼らが自分を想っていることは、十二分に知っていたから。

 舟の旅では、誰もが彼女に優しかった。
 親と離れた子供も多くいたため、寂しすぎるということもなく、
 旅に果てに、少女たちはノーウェア島へとたどりついた。

 そして役割を決める時に、少女に医者役を求める周囲に、きっぱりと言った。

「私に医者役はできません。
 簡単な治療のできる役程度にしてください」

 その理由として、正式に勉強したわけではないこと、
 まだ自分は年若いため、いくら役作りでも不自然さがあることなどをあげた。
 たしかに彼女の年齢は未だ大人とは言えず、医者と名乗るには無理がある。

 一度人々の意識をクリアにするとはいえ、あまりにも常識外れの役をつくるには、
 既存の概念から抜けきれていなく、また前の世界の縁を残したい思いもあった。
 そのため彼らはその説明に納得し、彼女の役は宿場の給仕係兼、簡単な治療師となった。
 決定にほっと息をつきながら、少女は胸の内で呟く。

 ……だって、自分は結局誰も救えなかった。

 それは勿論技術を知らなかったからとか、幼かったからとか、
 たくさんの自分では解決できない理由がある。
 けれどそれを抜きにしても、あの毎日は、自分の無力を痛感するには十分で。

 有り体に言えば、自信がないのだ。

 これから自分の過去の記憶は失われる。
 両親のことを忘れるのは辛かったが、あとは望むところですらあった。
 無力感を抱えて、それを強さにできるほどには、彼女は成熟していない。

 これからの新しい人生では、誰かの役に立てるように。
 傷ついたひとなんて、いないほうがいいけれど、
 もしも現れたその時は、彼らの傷を少しでも癒せるようになりたい。

「わたしは、テッシー」

 新しい名前を満足げに囁いた。

―終―
 
 
 初出:06.07.21 / 背景:TR002.

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 なぜタツマイリには医者がいないのか。
 テッシーは簡単な治療程度しかできないのはなぜか。
 ……の、想像です。
 テッシーはあの外見から1章時点でいってて20代半ばと推定。
 クマトラが2章時点で約14歳程度と推測し、
 25-14は11、なので少女ということにしています。