雨日同盟
 ラバウルには、雨が降っていた。
 季節も梅雨なので、それ自体はおかしなことではない。
 しかし、この雨がなかなかの量で、波も高くなってしまっている。
 この状態での出撃は危険と判断され、今日は休みにする、と艦娘たちに伝えたのはつい先ほどだ。
 敵も油断しているだろうけれど、目的地に到着する前にこちらが危険な目に遭っては仕方がない。
 上官はいい顔をしないだろうが、それなりに戦果は上げているのだから、お小言をもらうこともないだろう。
 一人も撃沈させない、というのが約束だ。それを守るためなら、卑怯だ弱気だと誹りを受ける程度どうということもない。
 突然の休日とはいえ、雨では出かけることもままならない。一部の潜水艦たちは外に出ているが、それ以外は室内でのんびりしているようだ。
 時々聞こえてくる楽しそうな笑い声に、自然こちらも笑みを浮かべる。あちこちの部屋でお茶会でもしているのだろう。
 いくつもの戦線を越えてきて、大分艦娘の数は増えたのだが、どうしても編成は偏り気味だ。
 いつも前線に出してばかりの艦娘には、特に骨休めしてほしいと思いつつ、月瀬は番傘を開いて雨の外へと踏みだした。
 ぬかるんだ地面の対策に長いブーツも履いているし、雨避けのコートも抜かりはない。いつもの服装はやめて、木綿の着物にしているから、最悪汚れても洗えばいい。
 それでもまとわりつくじっとりした空気だとか、風に飛んでくる飛沫はどうしようもないけれど。
 だが、執務室で書類と格闘するのも、部屋で休む気にもなれなくて、こうしてふらりと出てきてしまった。
 秘書艦にも黙って出てきたので、あとでなにか言われるかもしれないが、電はきっと、そんなに怒らないだろう。……多分。
 海を見渡せる場所に行きたくて、高台への道を選ぶ。少々難儀したが、どうにかてっぺんまで到着した。この道はきちんと舗装されておらず、駆逐艦などは怖がって近づかない。ましてこの天気だ、誰もいないと思っていたのだが──
「……祥鳳さん?」
 驚いたことに、先客がいた。赤い傘に上半身は隠れているが、服装を見れば誰かくらいわかる。
 声をかけると彼女はくるりとふりむき、驚いた様子だった。
「提督、どうなさったんですか? こんなところに……」
「いや……それは、祥鳳さんもじゃ」
 思わず呟くと、祥鳳は一瞬言葉をなくしたあと、そうですね、と囁いた。
 その表情は穏やかだが、少し寂しそうな色をして見えた。
 けれど拒絶する様子はなく、月瀬のために位置をずれてくれる。
 ここで立ち去る気にもなれず、ゆっくり歩いて近づいていった。
「……梅雨は、私が進水した季節なんです」
 隣に立つと、海に視線を投げながら、祥鳳はそう言った。
 私が、と表現してはいるが、それは大戦時に建造された、実際の軽空母の話だ。
 当時の記憶を持つ彼女たちの存在は、こうして身近にいても不思議なものを感じてしまう。
 その時の喜びも悲しみも、すべて覚えているというのは、いいことばかりではない。
 悲劇の記憶にトラウマを持つ娘も少なくなく、提督にはカウンセリングの講習が必須であることは、艦娘たちには極秘の事実だ。
 祥鳳がこの艦隊にやってきたのははやいほうではないが、とりたてて問題があったことはない。
 わりと自己主張の強い空母の中にあって、出撃時の服装には驚いたものの、それ以外はひっそりしたものだ。
 今も、雨の中に沈んでしまいそうな儚さすらある。
「そして、同時に……」
 こちらの顔を見ないまま続けかけて、口を閉ざす。
 その先は、聞かなくてもわかる気がした。表情からしても、楽しい内容ではないだろう。
 艦娘たちのすべての過去を把握するなんて到底無理で、時折書物に目を通してはいるけれど、読めば読むほど憂鬱になるので、半ば放りだしているのが実際のところだ。
 うっすらした勉強の中で、大戦終了まで生き残った数少ない艦の中に、彼女の名がなかったことは覚えている。
 だから、祥鳳を見つめることはせず、一緒に海のほうを眺めることにした。
 沖のほうは風も強いと報告を受けたが、見るかぎりではあまり変化はない。
 暗い雲が立ちこめているので、お世辞にも美しい景色ではないが、それでも、危険には感じられない。
 ……けれど、実際船で出れば、自然の恐ろしさを味わうことになるのだろう。何隻もの沈んだ船の数が、その事実を物語っている。
「だから、雨の日は、じっとしているのも苦手なんです」
 静かにしていると、思い出して気が沈むのだろう。とはいえ、他の誰かに話すのも憚られる。
 その結果があてどのない散歩になった、と言いたいらしい。
 苦笑いする祥鳳に、月瀬もそっとうなずいた。
「……うん、私も、苦手なんだ」
 窓から見える雨の降る海も、やたら静かな室内も。
 天候には勝てないから、ただじっと時を待つしかなくて、無力さにうんざりしてしまう。
「……おなじ、ですね」
 祥鳳は深く問いかけず、少し幼い口調でおなじ、と言葉にした。
 抱えている傷の中身は違うけれど、その質はどこか似ている気がした。
 一人でいるのが嫌で、けれど誰かといるのも億劫だから外へ出たのだけれど、祥鳳には押しつけがましさもかしましさもなくて、並んでいても息苦しさを感じない。
 普段は賑やかな艦娘たちに癒やされるのだけれど、こういう時は、彼女のような静けさがありがたかった。
 そのまま、特に会話もないまま一時間ほどを過ごし、どちらともなく降りる道をたどりはじめた。
 鎮守府が見えてきたところで、月瀬は帰路に考えていたことを口に出す。
「雨日同盟、なんてどうかな」
 安直な名前だけれど、響きは悪くない、と思ったのだ。
 祥鳳は突然の名前にきょとんとしている。そんな様子は、まだまだあどけないくらいで。
 妹の瑞凰の面倒をよく見ているから、しっかりした姉という印象だったが、それだけではないようだ。
 新しい発見に嬉しくなりながら、月瀬は思いついた案を話していく。
「雨の日に憂鬱になったら、あの場所に行く。──べつに強制じゃないよ。いつもじゃなくてもいい、そんな緩い同盟」
 決めごとにしてしまっては野暮になる。出会えるかどうかは運次第──そのくらいのほうが重荷にならないだろう。
 けれどなんとなく、そういう気分の時は重なるのではないか、と感じてもいた。説明は難しいが、空気だとか、そういうものが。
 そして、そんなふうに会えるほうが、重苦しい感傷も軽くなるだろう。
「……ええ、いいですね」
 やがて祥鳳がうなずいたので、じゃあ、そういうことで、と結ぶ。
 空母寮へもどっていく祥鳳を見送ると、月瀬は執務室へともどることにした。
 おそらく心配して探し回っているだろう、電を安心させるためにも。

 ──それから雨の日に、思い出に沈む時は丘へ行くようになった。
 不思議とその時は祥鳳も丘へやってきて、さほど会話もせず、二人でただ沖を眺める。
 そんな日が続くようになり、次第に秘書艦に祥鳳を指定することも増えていくのは自然なことだった。
 そしてはじめてのケッコンカッコカリをすることになるのは、まだ先の話。

−終−
 
 
 初出:15.11.04 / 背景:Egg-Station

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 梅雨の祥鳳さんイラストと科白に萌え転がった産物です。
 そこから一気にケッコンまで練度上げに走りました。
 我ながらよくやったものです(笑