過去の傷痕

 ……それは、静かな夜の一時のこと。


 ザムリア島にいくつかある街の中の一つ、オルガ。
 その奥まった場所にある宿屋は、名を樹木亭という。

 とっくに太陽は沈んでおり、時は夜と呼んでさしつかえない。
 そのため樹木亭の照明も、他の建物同様にすべて消されていた。

 起きている者は誰もいない――はずの真夜中。

「………ん………」

 そんな客室の一つで、微かな声が響く。

「……ぃ…やぁ…っ!」

 せっぱつまった悲鳴を上げて、彼女――マイラが跳ねおきる。

「………ッ……」

 苦しそうに大きく肩を動かして息をしながら、
 胸もとをきつく押さえ、震える身体と心を落ちつかせようと試みる。
 シーツに細かなしわが寄ったが、頓着している余裕はなかった。
 それから、恐るおそるあたりを見まわし、
 ここが見慣れた、樹木亭の己の部屋であることを確認する。

「夢……
 ……よかっ、た………」

 ふぅっと、重く、けれど安堵の息をついて、マイラはゆっくりとベッドから降りた。
 一瞬ベッドに視線を投げるが、静かに首をふると、靴をきちんと履く。

 冴えてしまったこの状態では、とても眠れそうにない。
 加えて、閉鎖された部屋の中にいたい気分でもなかった。
 まるで、広い世界にただ一人、生き残ったような孤独感。
 マイラはそっと扉を開けると、少し頼りなげな足どりで、ひっそりとした廊下へ出ていった。


 レオンは、こういった人の多い場所で眠ることに慣れていなく、外に出ていた。
 常人とは違い、戦士としての性質が染みついている彼には、
 少しの睡眠でも行動に支障はない。
 そういうわけで、なにをするわけでもなくすわりこんで彼方を見ていたのだが。

 不意に背後で、扉の開閉音が聞こえた。
 こんな時間に……そう思うより前に、唇が動いた。

「誰だ?」

 ふり返り、無意識に少し強く誰何の声を放ったが、

「……マイラか……」

 気と姿を認めて語調をゆるめる。
 マイラは驚いた顔でレオンを見つめていた。
 そこに人がいるとは思っていなかったのだろう。
 翠玉の瞳はいつもよりさらに大きく見開かれており、マイラの年齢を幼く見せる。

 夜目の効くレオンには、そんな彼女の表情からなにからすべてがよく見えた。
 寝間着代わりの膝上のざっくりとしたシャツを身につけたマイラは、
 すたすたと無防備な足運びで近づいてくる。
 彼女の歩みに合わせて、おろしてある珊瑚に似たピンク色の髪が、
 さらさらと心地いい音を立てた。

 ふと、オーバーラップを感じてしまった。
 いつとも言えないはるかな昔、彼女は長い髪をおろし、美しい衣装をまとって微笑んでいた。
 そして、彼の姿を認めると、少しためらいがちに、澄んだ声で自分の名を呼んだ。

『……けれどそれも、あの時まで……』

 レオンが回顧しているうちに至近距離まで近づいたマイラは、
 すわっている彼に目線をあわせるべくかがみこむ。
 とたん、危ない胸もとから思わず目をそらしたレオンに、彼女はまったく気づかない。
 別にやましい心はないが……と、思わず自分自身にいいわけめいた言葉を放つ。
 無頓着すぎるのも罪なことと言えるだろう。

「……レオン、なにしてるの? こんな夜更けに……」

 不思議そうに問いかけるマイラの声にはっと我に返り、一瞬間の沈黙のあと、

「人のことは言えないだろう」

 言葉を紡ぐと、マイラの表情がいくらか苦いものになった。
 息苦しそうに唇を動かし、短く呼吸をする。

「……隣……いい?」

 長い間のあと、彼女は無理に笑顔を浮かべながら訊ねかけた。
 「ああ」とうなずくと、小さな、風に喰われてしまいそうな声量で礼を言う。
 いつもは無駄なほど元気で楽天的なマイラなのに、今はひどく沈痛な面もちをしている。

 そんなマイラを見て、レオンは不審感に少し眉をひそめた。
 もう共に旅をするようになってずいぶんたつが、
 こんなふうに微妙な表情の彼女ははじめてだ。

 横にすわったまま沈黙を続けるマイラに、
 レオンはどう話を切りだしていいかつかみあぐねていた。
 なにかあったのは間違いないが、それをどんなふうに訊ねたらいいのかがわからない。
 こんな時に、たとえばスタアなら、
 甘くて優しい適当な科白がいくつも出てくるだろうに、などとふと思う。

 ……と、今まで止まっていた風が吹きはじめた。
 女のむせび泣きのようにも聴こえる、細く狭まったような音のあとを、ひんやりとした風が続く。
 流れてきた冷風に、マイラはぞっと身を震わせて自分の身体を抱きしめる。
 シャツ一枚しか着ていないため、それは当然のことだった。
 次の瞬間、ばさ、と彼女の肩に薄い青色の上着がかぶせられた。
 ぱちぱちと幾度か目をまたたいてから、持ち主――レオンに視線を合わせると、

「それでも着ていろ」

 短く、無愛想な低音が夜闇に響いた。

「……あ、ありがとう……」

 マイラは表情を驚きから微笑みに変え、大きな上着を身にまとった。
 先のほうなど、かなり布があまってしまったが、
 包みこまれているような感じに、マイラは少し安心する。

「……それで?」
「え?」

 マイラが落ちついたのを見計らっての、なんの脈絡もない科白に、
 彼女はきょとんとして相手を見る。

「何があった?」

 気遣っているわけではなく、ただ、疑問に思った――そんな感情の欠けた調子だった。
 けれど、マイラにそんなことはどうでもよかった。
 あれは、あまりにも恐ろしかったため、今の彼女は、ただそれから逃れたかった。
 それを話す相手が本人なのも、なにかの因縁なのだろうか。
 やがて、マイラはそっと、呟きに似た科白を落とす。

「……夢を…ね、見たの」

 夢、という単語にレオンが微かに身じろいだ。
 そもそもマイラが旅に出た理由は、摩訶不思議な夢の中の自分を捜すため。
 そして、そのあとも幾度か不思議な夢を見た。
 夢は、マイラを今の彼女へと導いた大きな要因の一つと言える。

「何を見た?
 ……過去、か?」

 先を求めるレオンの問いに、マイラは小さくうなずいた。

「……場所は……どこか宮殿……でも、ほとんどが崩れて、壊れているの」

 かつて創造主たちが住んでいた場所のことだろうと彼は見当づける。
 それ以外には、前世のマイラに関わる場所はない。
 だが、あえて説明する必要はないだろうと、レオンは無言を貫いた。
 知ったところでなんの得にもなりはしないのだから。

 しかし、なんの横槍もないと言うのに、マイラはなかなかその先を続けようとしない。
 なにかと必死に戦っているらしく、きつくにぎりしめた拳は色を失いかけていた。
 ここでせかしても逆効果にしかならないと判断し、レオンは黙ってマイラを見つめる。
 やがて、レオンから視線をそらして、震える声でマイラは告白した。

「あたしが、そこに……その廃虚に、立っていて。
 すぐそばには、レオン、あなたが……
 ……あなたが、倒れているの……」

 マイラは、憑かれたように言葉を紡いでいく。
 もう誰が聞いていてもいなくてもかまわないと、
 心中にあるどす黒い塊を吐きだすため、思いつくまま言葉を羅列する。

「……あなたは血塗れで…ひどい怪我をしていて……
 私は、つらくて、悲しくて、苦しくて……
 何度、あなたに謝っても、たりない……そんな想いで一杯で……
 後悔だけが、大きくて…そのうち、なにもわからなくなって……
 叫ぼうとしたところで夢は終わったけど……
 ……でも……」

 覚醒しても自分は夢の内容を忘れていなかった。
 奇妙なほどに温かい、生々しい血の感触や、吐き気がするほどの罪悪感はそのままで。

 ぽた、と、マイラの瞳からあふれた涙が、胸もとに落ちていく。
 照明など月と星しかないこの場所で、それはとても幻想的な情景をつくりだす。
 だが、そこに気をまわす余裕は双方とも持っていなかった。

「それは……夢なの?
 …………それとも……」

 一瞬の躊躇いのあとに、紡がれる問いかけ。

「……真実……なの?
 レオン、あなたは、答えを知っているはずよね?」

 なにかにすがるような、怯えの濃いマイラの表情。
 翠玉の瞳は、彼女の心情をあらわすかのように、今は深く、暗い色に変わっていた。
 夢を認めるのが嫌なのだと、その瞳が雄弁に語っている。
 自分がレオンを殺そうとした、その事実を、たとえ夢の中だけだとしても。
 答えを期待する潤んだマイラの瞳から視線を外さないまま、レオンはゆっくり首をふった。

「……言ったはずだ。何も教えない、答えない、と。

 自分で見つける以外に、方法はない」
 それが本当かどうかすら、彼は聞かせてはくれない――

 マイラはいくらか気分を害したようだったが、めだって表に出すことはしなかった。
 レオンが濡れた頬に手を近づけると、それに気づいたマイラは大げさなほどばっと身を引く。
 そして、慌ててごしごしと涙をぬぐいとり、

「ごめん、みっともないとこ…見せて」

 恥ずかしそうに早口で言って、ふぅっと重く息を吐いた。

「どうしてあたし……なんにも思い出せないのかなあ……
 大切なことなのに……」

 寂しげに夜空を見あげ、それからレオンへ顔をむける。

「そうすれば、きっと、もっとあなたとも話せるのにね」
「……俺と?」

 いきなり矛先をむけられ、彼は少しとまどった様子を見せた。
 マイラはわずかに微笑みながらうなずく。

「そう。……だって、そうでないと話すきっかけがない気がして……
 でも、日常の、普通の会話を、昔はしていたんでしょう?
 同僚…だったんだもんね?」

 問いかけてから、あ、と声をあげる。

「……ごめん。答えてくれないんだよね」

 ダメだなあ、と苦笑する。だいぶ調子がもどったらしい。
 それとも、開き直ったのかもしれないが。
 マイラは満天の星を眺めてため息を吐く。

「星はずっと昔から天にあって…きっとあたしの……昔も見ているのよね。
 だったら……しゃべれればいいのにって、最近、思うの。
 そうすれば、あたしたちが行く道が正しいのか、
 間違っているのか……聞くことができるのに……って」

 そんな彼女の科白に、レオンは目を見開いてマイラを凝視した。

「どうしたの?」

 きょとんとして問いかけるマイラに、内心を隠して無表情で首をふる。

「……同じことを言った人物を思いだしただけだ」

 簡単な説明にもつっこむことはなく、彼女は「ふーん」ともらして再び夜空を眺める。
 なぜ、記憶がもどらないのか、レオンにはそれが不思議でならなかった。
 さっきの科白は、かつて夢幻聖院で風の輝巫女……
 前世のマイラががレオンにむけて言ったものとほとんど同じだ。
 言動の節々には前世を思わせるものが両手の指ではたりないほどあると言うのに。

 それなのに、なぜ思い出さないのか――
 ……だが、と、同時に彼は胸中で呟く。

『思い出さなくてもいいのかもしれないな……
 つらいだけの記憶など……』

 直後、そう考えた自分自身に困惑する。
 思い出すことをなにより望んでいたはずの自分はどこへいったのだろう。

 けれど、こだわらなくても、記憶がなくても、マイラはマイラとして、
 進むべき道を模索し、そこへむかってまっすぐ走っている。
 それは、もしかしなくても自分の考えていたやりかたより最良に近い。
 ならばあえて記憶をもどそうとしなくても、かまわないのではないか?

 そこまで考えて、レオンはフッと笑みをこぼした。
 自分への自嘲のような、苦笑のような、そんな曖昧な微笑みを。
 偶然それを見たマイラは、そのいつもより優しく甘い雰囲気にどきりと頬を染めた。
 と同時に彼の表情は、彼女の胸に小さな痛みを刻みこむ。

『なにを想っているの?
 それとも……』

 ――誰かを?

 マイラは、無意識にレオンの上着をギュッとにぎりしめ、
 気持ちの吐露を音にするのを防いだ。

「……もう、戻ったほうがいい」

 その様子を見て、意味をとり違えたレオンが言うと、マイラはニコッと笑ってみせる。

「ありがとう。……でも、もう少し…だけ、ここにいたいの。
 いいでしょ?」
「……寒くないか?」

 レオンの科白に、マイラは嬉しそうに笑みを深くする。

「大丈夫、ありがとう。
 でも…レオンのほうこそ、平気なの?」

 今の彼の格好は、日中であれば寒さを感じることはないだろうが、
 気温の冷えた夜まで通じるものではない。
 上着を借りている身としては、当人に風邪でもひかれてはたまらない。
 心配そうなマイラに、レオンはわずかに微笑んだ。

「大事ない。
 俺は普通の人間よりも強くできているから、寒さも平気だし、
 食事や睡眠も、大してとらなくてもやっていける」
「便利ねー……」

 感心して息をもらし、「あ、そうよ」と呟く。

「……なんだ?」

 訝しんで訊ねるレオンに、うん、と一人でうなずきながら、

「会話、できるなって、思って」

 安心したような顔つきになる。

「別にこれくらいならいつでもできるだろう」

「んー、でも、レオン普段はあんまり話しないでしょ?
 だから、さっきも言ったけど……前世っていう接点が……特別が、欲しかったんだ」

 ちょっと決まり悪そうにつけ足すマイラ。
 しかしレオンには彼女のその態度の理由はよくわからない。

「……でも、こうやっていられるんなら、前世、いらないのかも…って、思ったの。
 レオンには悪いけど、……でも、思い出せても、ダメでも、あたしはあたし、だから」

 偉そうだけど、と笑うマイラに、彼は思わずもれそうになった声を口もとを押さえて隠す。
 どうして自分と同じことを考えている、などと言える性格ではない。
 幸いマイラは星空に気をとられており、彼の挙動不審を見とがめることはなかった。

 それからしばらく、沈黙の時間が過ぎた。
 けれど、嫌な感じではなく、満天の星空のもと、
 気障な言いかたをするなら、言葉などいらない、気持ちのいい静寂だった。

 すっかり落ちついた様子のマイラに、レオンはほっと安堵する。
 パーティーの要が気落ちしていては、全体の士気に関わってしまう。
 しかしその中に、もっと単純な、喜びにも似た安心があることに、彼は薄々気づいていた。
 認めることには、激しい抵抗があるけれど。

 と、不意にマイラが大きな欠伸をした。
 それを見て帰還を促そうと、レオンが口を開きかける。
 だがマイラは、その前にズルズルとレオンのほうに倒れこむ。
 彼が慌ててその身体を支えた時には、すでに安らかな寝息をたてていた。

 気持ちがほぐれたためだろうが、あまりにもな早寝に、レオンは呆れを通り越して感心する。
 すやすやと眠るその姿は子供のようで。
 レオンはどうしたらいいのか一時困って視線をさまよわせたが、
 このままにしておくのはまずいことだけは間違いなく。
 さんざん迷ってから起こさないようにそっと抱いて、立ちあがる。
 そして、その身体の意外なほどの軽さと細さに驚いた。

 らしくなく、一抹の後悔が頭をかすめた。
 今までの旅の中は、マイラにはずいぶんつらいこともあった。
 その中には、他ならぬ自分が理由になったものもあるだろう。
 ……しかも、決して少なくない量で。

 けれどいつも、マイラは平気そうに笑って、すべてを乗りこえていった。
 それが彼女の強さなのだろうと、レオンは思う。
 単に力だけではなく、もっと別の、心の強さ。
 そして、頼りになる陽気な仲間たちの存在。
 しかも今は、自分すら仲間としてそばにいる。
 つらそうにしている時には、堂々と手だすけができる。もう、傷つけたりしない。

 きっと大丈夫。最後にはすべてがうまくいく。
 なんの根拠も理由もないのに、
 こんなにも明るい未来を信じられるのは、マイラがいるからだろうか。

「どうかしているな、俺は……」

 ……だが、悪くない。

 呟いて、危機感などなにもない、幸せそうなマイラの寝顔に苦笑する。
 そして、ゆっくりとした足どりで樹木亭へともどっていった。


 ――その翌日、自分のベッドで目を覚ましたマイラの行動は、言うまでもない……


−終−
 
 

 背景:トリスの市場

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 かなり昔の作品な上にマイナーではありますが。
 レオンvマイラは私の中ではベスト三に入る勢いです。
 同人誌にしようと思っていたものなので長いですが、
 話的にはお気にいりになっています。