レビテーション?
「さて、今日はMaを固定させるために必要な詠唱に関してだ」

 ミミズののたくった跡のほうがまだましなのではないか、
 と言いたくなるような、文字と絵の間のようなしろものが黒板に舞いだせば、
 花水木秋俊による授業のはじまりだ。

「詠唱する言葉自体は、言葉を覚えれば子供にだって言える。
 しかしその場合目に見える発動があるかとなると、答えはNoだ」

 多分子供なのだろう図形に大きな赤い×を引く。
 あまり派手にやるものだから、白衣に赤い粉が散ったが、本人は委細構わない。
 もっとも白衣はすでに灰色がかっているので、
 ここで赤く染まったところでたいした問題はないだろう。

「ただ言うだけでは何もならない。
 Maを意識しなくてはいけないし、本人の能力もある」

 そこで彼はちらと生徒の一人を見た。
 視線を感じた彼女は、鬱陶しそうに目線をずらす。

「たとえばみずか君の場合は、詠唱はなっちゃいないが、
 有り余る力のおかげで強引に詠唱を完成させているわけだ。
 正式詠唱できればもっと威力が上がると思うんだが……」
「うっさいわね」

 わざとらしいため息までつく花水木に、水華は露骨に眉をしかめ、
 短く、しかし心からの文句を言い放つ。
 それを聞き、顔色を変えた春菜がすかさず食ってかかる。

「ちょっと! 先生にむかってなんて口の聞きようよ!」
「あたしとアイツの問題にいちいち顔出すんじゃないわよ」
「なんですって!?」

 勝手にヒートアップする女性陣もいつものこと。
 止める気など毛頭ない花水木は、そんな様子を面白そうに眺めている。
 喧嘩するほどなんとやら、などと呟こうものなら、両サイドから怒鳴られるので、
 ひっそり心の中で思い、にやつくだけにとどめておいた。

 そして我関せずノートをとっていた最後の生徒が、おもむろに顔をあげた。
 律儀に手をあげて、質問の意図を花水木に伝える。

「はるな君、みずか君。
 とうじ君が質問らしいので、ちょっと落ち着いてくれるかな?」

 やんわりとした声は、たいした大きさではないのによく通り、
 二人は冬星を見て、席につきなおした。
 いつのまにか立ちあがっていた二人は、ちょっと居心地悪そうに居住まいを正す。

「で、何かな?」

 大安売りの笑顔で問う彼に、冬星は喧嘩の間に調べたらしい、
 自前の参考書のページを手繰りながら口を開いた。

「詠唱は他国語でも、
 同じ意味であれば等しい効果を得られるんですか?」

 花水木は器用に片方の眉を上げ、春菜ははっとして教科書の中を調べだし、
 水華だけは意味がわからないらしく隣の彼を見つめた。
 幾度か口の中でもごもごと反芻したらしいが、
 やがて賞味期限を三年過ぎた食べ物を口にしたような渋面になる。

「どゆことよ、とーじ」

 すわった目つきは威嚇と言うより、むくれた子供のようだった。

「つまり……だ、おれたちが唱えているあれを英語で言っても、
 同じようにMaの召還はできるのかと聞いたんだ」
「あれ……浮動産登記法……ってやつ?」
「そうだ」
「できるの?」
「だからそれをおれが今聞いたんだ」
「あ、そうか」

 水華とのかけあいをすませた冬星は、黙ったままの花水木に視線を移す。

「……で、どうなんですか?」

 春菜も気になるらしく、じっと彼に視線をむけている。
 説明を受けた水華も、なんとなくそれにならってみた。
 三人の視線を浴びた教師は、しばらく言葉を選んでいたようだった。

「理論上では、どこの国の言葉でも、魔法を使うことはできる」
「理論上?」

 端的な言葉は、けれど若干のひっかかりを持っていた。
 曖昧な笑みの花水木に、水華はあくまでストレートだった。

「理論的ってあによ、英語で唱えたのがいないってこと?」
「いやぁ、実はそのとおりなんだよ、みずかくん」

 右手を頭の後ろにやって、てへ、なんて音のつきそうな笑みをおまけに。
 あっけらかんとした様子に、一瞬罵倒も飛んだ水華だった。
 気をとりなおした彼女が文句を言う一瞬前に、花水木は解説をはじめる。

「ただ、他の魔法系統では言葉の中に英語を入れても発動した報告があるから、
 一部分であれば浮動産でも問題なく召還可能であることには違いないよ。
 ただすべてとなると……実践したものがいないので、なんともね」
「そうですか、ありがとうございます」

 几帳面に礼を言うと、冬星はそのままその言葉をノートにつけはじめる。
 通路を挟んでむこうにいる春菜の様子を覗けば、やはり同じようにメモしていた。
 しかし海外で使われたことがないということは、
 現状の魔法の認知度を端的にあらわしているともいえよう。
 詠唱する人間がいないということは、すなわち、まったく盛んではないのだから。

「登記法だって不動産にヒントを得ているしねぇ。
 海外の不動産登記法をちょっといじれば、うまくいくかもしれないね」

 がりがりと落書きを増やしながら、楽しそうに花水木は呟く。

「その場合の発現には変化があるのか……試してみたいものだ」
「試せばいいじゃないのよ」

 低い呟きに水花が思わず口を挟んだが、ふり返った彼はおかしいくらいの破顔で。

「僕は英語がダメでねぇ、あはははははは」

 だろうと思った水華だったが、彼女自身も勉強はさっぱりなのでコメントを控えることにした。
 時計を見ればそろそろこの時間の終わりごろ。
 ……とは言え一般教養以外はすべて彼の授業なので、
 授業時間を守る必要はあまりないのだが。
 とんとんと授業内容を書いたファイルを束ねながら、花水木は冬星にこう言った。

「とうじくんなら、英訳できそうだね。
 暇があったら是非挑戦してくれたまえ」
「……はい」

 機嫌のいい彼に、あくまで冷静に。
 真面目にノートの隅に「英語版浮動産の訳」と書き加えることも忘れない。

 時期はそろそろ初夏を迎えようとしていた。


―終―
 
 
 初出:06.06.14 / 背景:竜棲星-Dragon's Planet

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 ふと思いつきました。
 そういや詠唱ってどうなんだろうなぁ……と。
 最初質問役は水華のつもりでしたが、
 彼女は英語なんて無理だよなと思って(酷