あらしのまえ

 彼は無言でペンを置いた。
 転がる何冊もの、今では発禁処分を受けた数々の本をいい加減に整理する。

 花水木はこの仮登記を知っているだろうか。
 確率は五分……以下だろう。
 けれど、これ以外の方法はどれも簡潔で、花水木の裏をかけるレベルではない。
 分の悪い賭ではあるが、これにすがるしかなさそうだった。
 ひとつ息を吐くと、数枚にわたり数式で埋めつくされたレポート用紙を手にとる。

 何度計算しても、どんな方向から見ても、浮動産を長時間浮かせるという、花水木の方法は無理がある。
 たしかに、浮動産は間違いなく空を飛ぶだろう。
 そしておそらく一定の時間、そこに止まることもできる。

 ただしそれは、あちらの世界のバランスを崩すことに他ならない。
 力の反発により、穴が開く可能性は極めて高く、その結果は、世界が滅んでもおかしくはない。

 ……先生は、わかっているんだろうか?

 頭の中での問いかけに、べつの自分がすぐさま答えた。
 揶揄するような調子で、当たり前のように。

 ……知らないはずがないだろう。

 浮動産の権威、花水木秋俊。
 その彼が自分の得意分野の危険性を知らないはずがない。

 だとしたら、彼は確信犯的に自分たちを欺いている。
 自分を、水華を、調査部を、

 ……そしてきっと春菜も。

 すでに危険性に関しての計算式は出してある。
 細かい注釈はつけずに調査部のポストに入れてきたが、解読できないほど間抜けではないだろう。
 とどいたのはおそらく今日。徹夜で確認と今後の対応に追われるだろうが、知ったことではない。
 それに彼にしてみても、そのほうが都合がよいのだから。

 ……ばらばらのピースはいくつもあった。

 期せずして水華がもたらしたものも、自分が……あの時から調べていたことも。
 けれど今回は前回のようにはいかないだろう。
 自分はもう一度妨害に成功している。
 花水木は今ごろ、外部からの防衛手段を考えていることだろう。
 きっといつもの笑みを浮かべて、楽しみにしているに違いない。

 浮動産を飛ばす夢の実現のこと、自分たちが彼の邪魔をすること……

「……同じだから」

 ぽつりと、呟く。
 自分と花水木は、きっと同じモノだ。
 夢を追いかけるのは誰にもあることだけれど、自分も、彼も、その夢はあまりに大きすぎて。
 それは誰かの、なにかの迷惑になることが必至で。
 けれど、だからやめよう、という結論に達するには欲求が強すぎて。

 だから自衛のためにライバルをつくるのだ。
 自分の夢を潰してくれる人間を無意識に捜し求めて。
 もしも駄目になった時に、諦める材料とするために。

 卑怯で、子供じみているとは思う。
 思うけれど、我慢できないからこそ、それは子供の欲求なのだろう。

 ……きっと花水木は、春菜を、水華のようにしたかったのだ。
 強い魔力と制御能力、発展しアレンジする才能。
 それは彼の妨害者に相応しい。
 さぞ期待して、彼女を育てたに違いない。

 けれど結果は、彼女は彼を慕い、彼の協力者となってしまった。
 それはそれで喜ばしくはあっただろう。
 彼はきっと、異端とされることに、味方がいないことにさほどの不幸も感じていないだろう。
 それでも自分だったら、信頼してくれる誰かがいれば、嬉しく思うことは疑いようがない。

 それなのに、明日彼は彼女を裏切るのだ。
 ……それを考えると少し彼女に同情する。
 彼女はとても真面目で真剣だ、きっと深く傷つくに違いない。

 かわいい大事な教え子、自分の協力者。
 しかしそれは本来の望みのかたちではなく。
 二年目にやってきた自分たちは、彼にはどううつったのだろうか。
 天使に見えたか悪魔に見えたか……それは花水木にしかわからないことだけれど。

 ある意味では、自分も同罪だと、口には出さずに思う。
 水華に、ANOSのことも、花水木の本当の姿も、教えずにいた。
 利用されていることに薄々気づきながらも、手を打たなかった。

 ……それは、そう、そのほうが「自分のため」だから。

「……でも」

 言葉が、続く。
 でも、だけど、しかし……なんだっていい、要は。

「……おさまらない」

 それだけの、こと。

 心の奥が、どことなく騒がしい。
 イライラするような、しめつけられるような気持ち。
 罪悪感なのだと気づくのには時間がかかった。
 たとえばそうするしかなかったことでも、彼は同じ感情を持ったことだろう。

 だから絶対に自分は、彼女を守るだろう。

 それが黙っていたことへの、自分の中にある黒いものへの、胸のつかえへの、少しの贖罪。
 自分勝手なものだし、そうしたところで問題の根本がとけるわけではないけれど。

 それでも自分は、まだ。

「……」

 とりとめのない思考を頭をふって忘れると、彼は上着を脱いで椅子にかけた。
 明日は戦闘になる。確実に。
 今すべきことは後悔でも物思いでもなくて、眠ることだ。

 そう自分に命じて、冬星はベッドに横になった。


−終−
 
 

 背景:トリスの市場

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 冬星モノローグですが、本心が見えないので一苦労。
 結局偽物風味になってしまいました。
 水華はきっとこのころ爆睡してたのでしょうけど(笑