きっと
 目が覚めて、真先に見えたのは、心配そうに自分を見つめる瞳だった。
 そのさらに奥には、真白な天井。
 つんとした消毒薬のにおいに、清潔すぎる空気。音の無い部屋。

 病院だろうと察しがついた。
 腹に穴が空きかけて気を失ったのだから、普通は病院にいるものだろう。

「とーじ……とーじ、大丈夫?」

 ぼんやりとした思考にすべりこんでくる声。
 いつでも感情のままに大きな響きなのに、今はなんだかとてもたよりない。
 焦点の合わない目をまたたかせて、霞のかかった頭を枕の上で軽くふる。
 今にも泣きそうな顔でこちらを見ている、大柄な彼女。

「……すいか……」

 自分の声かと疑うような、かすれた響きが漏れる。
 それでも彼女は嬉しそうに安堵して、無意識にこぼれかけていた涙をぬぐった。

「よかった……」

 心底ほっとした様子の水華をぼんやりと見る。
 長くたらした髪の毛の先端が、シーツの上に小さな広がりをつくっていた。
 そんな様子を見ながら、思わず呟く。

「……すいかが、女らしい」

 途端、べしっ、と思いきりはたかれた。

「……痛いぞ、仮にも怪我人に」
「そんな減らず口が叩けるなら大丈夫でしょうっ!」

 はたかれた頭に手をあてながら無感動に言うと、顔を真赤にして反論する。
 いつもより八十パーセント減の力加減だったので、さしたる痛みはない。
 心配して損したかも、とぼやいているのが聞こえた。
 素知らぬほうをむいて、赤くなった頬を隠すようにして。

 不意に、ここにいることを実感した。

「……すいか」

 呼びかけると、それでもこちらをむいてくれる。
 いつもそうだ。口でなんと言っても、ちゃんと自分を見てくれる。

 ……だから、「彼女なら」と思うのだ。
 彼女なら、きっと……

「あによ、とーじ、ひとを呼んどいて」

 不機嫌そうな、いや、拗ねたようなとでも言おうか。
 そんな声が聞こえて、我に返る。

 まだ意識が混濁しているのだろうか。
 どうもふわふわしたような、そんな感覚が抜けない。
 ぼうっと自分を見ている冬星の様子に、水華は怪訝そうな顔をする。

「とーじ? どっか痛い? それとも熱ある?」

 おずおず伸びてきた手が、細心の注意を払って額にあてられる。
 少し冷えた手が、心地いい。

「……いや、大丈夫。それより、訊きたいことがあるんだ」

 ややとぎれがちながらも、いつもどおりの口調。
 大分しっかりしてきた口調に、やや安堵したらしい。

「あたしが知ってることなら答えるけど……なに?」

 軽く首をかしげて冬星を見る。

「あれから、どうなったんだ?」

 もっともな疑問だった。
 あれからどれくらいの時間がたったか、
 花水木はどうしたのか、落ちた動産の被害は……
 気絶していた彼にはなにもわからない。

 問われた水華はしばし沈黙する。
 どこから話すか、どうまとめるかを思案しているようだった。

「……ええと、まず、学校は滅茶苦茶。
 で、花水木も春菜も生きてる。負傷者はいるみたいだけど、死人はないって」

 簡潔にまとめた答えに、そうか、と呟く。

「これから法学部がどうなるか、花水木の処分はどうするかは、よくわかんないけど」

 肩をすくめる水華は、学部を変えろとまくしたてていた時とは別人のようだ。
 ……そんなことを言ったら否定と共に殴られるだろうが。

「……先生はまず、処分されるだろうな」

 誰に言うでもない囁きが漏れる。
 水華は無言でうなずいた。

 事件はあまりにも大きくなりすぎた。
 学校を破壊までしたのだ、まず講師ではいられないだろう。

 それに、彼は生きているかぎり挑戦をやめない。
 協会もそれなりの手を打つに違いない。
 魔力の剥奪などという手が使えるかはわからないが。

 夢への挑戦。
 冬星にはその気持ちが特にわかる。

 また、彼がなにかしてくれれば。
 自分は夢を遠ざけることができる。
 しかし、おそらく無力になる花水木は、
 もう今までのように大がかりな行動は起こせない。

 それでは駄目だ。もっと手強くなってくれなければならない。
 自分の欲求を抑えるだけの、対抗手段を考えたくなる、そんな行動でなくては。

 でなければ、自分は。

「……すいか」

 名前を、呼ぶ。

 今はもう中学生ではないから、本当はみずかと呼ぶべきだと知っている。
 だけど、彼の中のこだわりがそうさせる。

 自分だけが呼ぶ名前。
 怒りながらも応えてくれる相手。
 そんな彼女だからこそ、自分を止められるのだと……思う。

「……あのさ、とーじ」

 いつまでたっても次の言葉が出てこない冬星に、水華が口を挟む。
 無意識に声に出していたことに気づいた冬星だったが、
 表情は変えずに彼女が喋るのを待つ。

「あの時、浮動産が落ちて…ってした時、あんたなんか言ってたよね」

 少し自信なく感じるのは、いくつものできごとが立て続けに起こったせいか、
 それとも、彼の科白が信じられないか。
 両方かもしれないと胸中で呟く。

 否定も肯定もしなかったが、水華は気にせず続けていく。

「あたしには、難しいことはよくわかんないけど……」

 なんとあらわせばいいのか考えあぐねているらしく、
 唇は音を出すことなく吐息だけをこぼす。
 天井を眺めたり、真白のシーツを見下ろしたり。
 何度かそうして、それから。
 ん、と決めたらしく、声をもらして、冬星をまっすぐに見つめた。

 意志の強い瞳。
 誰になにを言われても、決してゆらがない鋼の気性。
 だからこそ信じられる、そのかぎりなく野生に近い、本質を。

「要するに、あんたがなんかバカなことをしでかしたら、殴ればいいのよね?」


 …………間が空いた。


「……
 …………いや…まあ……そうだが」

 どう答えたものやらと思いつつ、とりあえず間違っていないので、うなずく。
 たしかに彼女の場合、殴って止めることになるだろうが。
 彼にとっては、その前に「魔法を使って」という文章がつく。

 しかし、水華の指しているものは、微妙にずれているような。
 なにか勘違いされている気がする。

「……でも、大丈夫だと思うけど」

 小さく眉をしかめて、そういうことじゃない、と思っていた冬星の耳にとどく声。
 見慣れた屈託のない笑顔で、彼女はきっぱりと言いきる。

「だってあんたは花水木じゃないもの」

 当たり前の一言。

 ……そう、自分は先生ではない。
 思考はおそらくとても似ているけれど、まったく同じではない。

 不意をつかれた言葉に、ふと笑みがこぼれた。
 何年かぶりにわずかな微笑を浮かべて、冬星は小さくうなずいた。

「……そう……だな」
「そうよ」

 けろりと言う水華は、どこまで彼の危険性をわかっているかは、
 はなはだ疑わしいけれど。
 だけど、少なくとも、花水木よりは、自分は止まっていられるだろう。

 夢が実現された時、彼は夢と同じくらい大切なものを失うことがわかるから。
 すり抜けたそれは、きっと二度と手に入らないだろう。

 倒錯的な喜びにはしるには、彼女は悲劇のヒロインにむいた性格でもないし。
 たとえば春菜のようなタイプであったなら、それもあるかもしれないけれど。

「あんたは大丈夫よ。なんたってこのあたしがついてるんだから!」

 どん、と胸を叩く姿が力強い。

 本当に大丈夫かなんて、わからないけれど。
 でも、今はその言葉を信じて。

 いつか、叶えたい夢が変わる日がくるかもしれない。


 そんなふうに、思った。


−終−
 
 

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 ED後を勝手に考えてみました、な話。
 かいがいしく看病する水華……は、あまりにもアレですが。
 とにかくカップリングー! と勢いで書いた代物です。